「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣く」

 

 来春、幼稚園入園を控えた子どもを持つSさんから嬉しい話を聞きました。
 「水曜日のお昼、井の頭公園の三角広場でごはんを食べて遊んでいたら、息子の帽子が飛ばされ、川に落ちて流されそうになった時、相愛幼稚園の年長組の男の子たちが懸命に拾おうとしてくれたんですよ。」
 結局、年長組の子どもたちは帽子を拾うことは出来ず、Sさんが拾いあげたそうですが、Sさんは、しみじみと 「この男の子たちの行為はまさに “相愛の精神” ですよね〜」 とおっしゃいました。

 

 また、先日、幼稚園の前を通りかかった卒園生のお母さんが園児たちの遊ぶ姿をフェンス越しに微笑ましく眺めながら、「相愛幼稚園出身の子たちは、小学校で誰かに何かが起こった時、放っておけない子たちなんですよね〜。それは、ここでこうやって、たくさん遊んでみんなと一緒に育つ経験をしてきた子だからですね。」 と教えてくださいました。

 

なんて嬉しい言葉なのでしょう。
年長組男児や卒園生たちのありようを聞いて、私は誇らしい気持ちになりました。
何か事が起こると、 「どうしたの?」 とみんなが集まってきて無関心ではいられない。
それは、単なる「やじ馬」ではなく、「放っておけない」 という心持ち。
 “愛” の行為の反対は憎しみではなく、“無関心” であるといわれます。子どもなりの 「放っておけない」 という心情はまさしく愛の行為であり、子どもたちの中にあるこの心持ちを私は嬉しく、誇らしく思うのです。

 

            「喜ぶ人と共に喜び、
                 泣く人と共に泣きなさい」
                    〔ローマの信徒への手紙 12章15節〕

 

 相愛幼稚園では、この聖書の言葉を今年のクリスマスの主題に据えて、今、子どもたちと共にアドベント (待降節) の日々を過ごしています。

 

 そして、私たちはこのとき、
「相手の喜びを心から喜ぶことはできますか?」
「共感とはどのようなことでしょう」 ともういちど自分の心に問いたいと思うのです。
 喜ぶ人を祝福する心が、実は自分をも祝福していることであり、また、共感とは同じ思いをする、同じように感じるということだけではなく、その人にとってのつらいことや本当に克服したいこと、求めていることを共に求めていくという思いでかかわることでもありましょう。

 

 一人ひとりの心に、わたしの悲しみを知り、わたしの喜びを共にされようとするイエスさまを迎えるクリスマスでありますようにと願っています。

〔 園長 佐川 曜子 〕 

 

 

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