「あなたがたは、幸いである」

 

 イエスさまは、山に登り、弟子たちや群衆にむかって話をなさいました。マタイ福音書5章3〜11節に、九つの 「 幸いである 」 が書かれています。聞いている人々の中には、自分は幸せだと思っている人も、そうでない人もいたでしょうが、すべての人に向かって、「 幸いなるかな 」 と言われたのです。聞いた人たちは、本当にそうだと思ったので、「 山上の説教 」 冒頭に、この言葉が書かれたのだと思われます。その具体的なことが、使徒言行録2章44〜45節に 「 信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った 」 と書いてあります。  

 

 しかし、これは、イエスさまに従った人たちだけでなく、誰もが持っている心なのだということが、このたびの地震・津波による出来事での助け合いで知らされます。人々のつながりにおいて、人としての大切なものを知らされる経験をしています。また、何が人にとって 「 幸い 」 なのかを知らされます。実際に、現地に行って活動をすることが出来る人は限られた人かもしれませんが、他人事とは思えない、自分にできることは何かと思う人は少なくありません。  

 

 この人のつながりについて、聖書が語っている大切なことは、「 隣人を自分のように愛しなさい 」であり、必要としている人の 「 隣人になる 」 ということです。そういう語りかけの中で、わたしたちは、人として生かされていると思います。2000年経っても変わらない真実が、ここにあります。わたしたちは、3月11日以後の毎日を、「 あなたたちは幸いです 」 との御言葉の意味を問われて、日々、生かされているのではないでしょうか。 

 

 しかし、教会においては、「 すべての物を共有にし、皆がそれを分け合う 」 という生活は、初めは行われたようですが、次第に言葉どおりに行うことは難しくなったようです。ですから、イエスさまの言葉は、今も、わたしたちに語り続けられている言葉、聞くことを求められている言葉であると言えます。 

 

 東日本大地震・津波は、未曾有の大災害です。1000年に一度とも言われています。この出来事の中におかれているわたしたち、特に、これから成長し、自己形成をしていく子どもたちにとって、大きな意味があります。  

 

「 人であるということ 」、「 人のつながりとは 」、「 隣人になるということは 」、「 幸いとは 」、これらの問いかけに向き合うことなしには、生きられない人の現実があります。  

 

 

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 幼稚園生活において、神さまが語りかけてくださる声にしっかりと、子どもたちと共に聞く者でありたいと思います。

〔 理事長 長山 恒夫 〕