「幼子はたくましく育ち、
知恵に満ち、
神の恵みに包まれていた。」
(ルカによる福音書 2章40節)
この言葉は幼少年時代を過ごされたイエスさまに
ついて言われた 言葉です。
幼児期にある子どもを見ていますとこの言葉がぴったりという思いにさせられます。心身ともに健康であり、神と人とに愛され、神の恵みに包まれて成長していくことは、親にとっては誰もの願いです。
幼児期の成長を考える時に、小学校入学以後の知識的成長とははっきりと区別された時期として受け止めることが大切です。大人の勝手な思いから、商業主義や知識教育の準備の時期ということからでしょうか、三歳児から知的な勉強や体育・スポーツの誘いが多いのは残念なことです。「這えば立て、立てば歩めの親心」とあるように心身ともに成長発達の段階は大切にしたいものです。
三歳になって幼稚園に入園して来る子どもたちを見て思うことは、何もかもが生まれてはじめての経験であるということです。その彼らを理解するために、自分にとっての生まれてはじめての経験を考えながら、子どもたちを見たいと思います。はじめての経験は、すべてがそうなのですけれども、幼稚園での経験の第一のことは、他の子どもとの出会いでしょう。直ぐできることと一年がかりでできることなど様々な経験をします。「たくましく育ち」ということは、これらの心身ともにある経験をいっています。身体だけでなく、心だけでなく、その子全体で経験し育っていることを一歩引いた、ゆったりとした気持ちで見てあげたいと思います。
知恵についてですが大人の場合も同じなのですが、特に幼児期においては知識と知恵は別のものです。何でも知っていることが「知恵に満ち」ではありません。知恵は考える力、判断する力です。「何だろう」「どうしてだろう」など様々なことをたくさんの経験の中で考えます。友だちと出会い、一緒にすること、はじめは「一緒に」というよりはぶつかることの方が多いでしょうが、その中で「何だろう」「どうしてだろう」を経験して行きます。そうして、知恵に満ちた時を送ります。そのような幼児期を大切にしてあげたいと思います。
神の恵みは人の思いを超えたところで与えられています。その恵みに応えるのは感謝です。感謝することが恵みを知ることにつながります。子どもと一緒に感謝の祈りをして恵みを覚えて毎日を過ごしたいと思います。
すべての子が幸せな幼児期を送るわけではありません。自分自身の病気や親と別れてや、幼い時からそのような経験をする子もあります。そのような場合こそ、一人の人として、その子をしっかりと見て一緒に成長したいと思います。
〔 理事長 長山 恒夫 〕