「相 愛」


   相愛だより七月号に佐川園長が書いておられるように、幼稚園の「相愛」の名は新約聖書ヨハネの手紙一 4章7節「互いに愛し合いましょう。愛は神からでるもので〜」による「相互の愛」、「神の愛」をあらわしています。
 幼児期の子どもたちにとって、自分以外の存在との依存関係ではなく、相互関係による出会いはその子の世界の始まりです。その一歩を愛によって始めて欲しい、その願いが「相愛」の名に込められています。愛は本来、自分の中に持っているものではなく、相互の関係の中に発見されるものなのです。

 子どもたちを見ていると、大人とは違った仕方で他人との関係を作っています。ちょこちょこっと関心のある子に近づいて行って、頭をこつんとぶったりします。打たれた方は何で打たれたのか分からずに、その子の方を見ると目と目が合って、何かが始まります。
 すぐに、よい関係ができるわけではなく、いろいろなことの中で自分にとっても相手にとってもよいことを経験すると、そこに関係が生まれて、自分たちにとって何がよいことなのかを発見します。そこに、愛への一歩があります。愛ははじめから自分の内に持っているものではなく、こうして、経験して、与えられ、育っていくものです。

 この「相互の愛」に対して、より根本的な愛に「神の愛」があります。新約聖書コリントの信徒への手紙一 13章は「愛の賛歌」と言われています。そこにある有名な言葉は「信仰と希望と愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」ですが、愛についてさまざまなことが書かれている中に「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。云々」とあります。
 愛はわたしたちのこのような日常の経験の中で、一つ一つ教えられていくものであるということです。また、愛によって生活の中の様々な出来事を越えて行くことができる、そうした中で、わたしたちは愛について教えられていくことになります。

 実は、聖書の中の「愛」はそれ自体では意味を持たない言葉なのです。その時その時に、「神さまから」、「上から」示される経験の中で知る言葉なのです。この意味では、どんなに経験を重ねても、愛とは何であるのかを知ることにはならないということになります。いつも示されることによるのです。「神が愛」なのです。CIMG5200 130.jpg

 愛によって生きるためには、その時々に「上から」                        示されることに「聞く」 ことが何より大切になります。                             「上から」というのは信仰的な言葉ですが、                                 「他から」と言い換えても意味は近いと言っていいでしょう。
 相愛幼稚園の子どもたちが、神さまに、友だちに「聞く」                      ことを大切に育ってくれますように願っています。

〔理事長 長山 恒夫〕