ゴスペルの定番とも言えるこの曲、皆さんもこれまで何度か聞いたことがあるでしょう。

 「Oh, Happy day, When Jesus washed my sins away」〈イエス・キリストが私の罪を洗い流してくれた。(だから)何と幸せな日だろう。〉

 これが「Oh, Happy Day」の意味です。「罪」と言っても、いわゆる犯罪のことではなくて、人間の心の中に沸き起こる悪しき思い―例えば憎しみ、嫉妬、怠惰、慢心、差別、偏見―、それが聖書の言う「罪」です。愛さなければならないのに憎んでしまった、信じなければならないのに疑ってしまった、信頼に応えなければならないのに裏切ってしまった、希望を持たなければならないのに絶望の中で投げやりになってしまった。そういう諸々の「罪」を、イエス様が十字架にかかることによってゆるしてくれた。「Oh, Happy Day」は、その喜びを歌っています。

 けれども、「罪がゆるされた」って言っても、「いいよ、いいよ。ゆるしてやるよ。無かったことにしてやるよ」ということではありません。それでは本当の「ゆるし」になりませんから。そうではなくて、「変えられる」ということがゆるしではないかと思います。「Oh, Happy Day」では先の歌詞に続いてこう歌われます。

 「He taught me how to watch, fight, and pray. And live rejoicing everyday.」 〈彼は教えてくれた。いかにして物を見、闘い、そして祈って、生きていくか、ということを。そしていかにして毎日を喜びをもって生きていくか、ということを。〉

 ここからは私の想像も加えますが、この歌を歌ってきたアフロアメリカンの人たちは、肌の色が黒い、というそのことだけで、差別され、偏見によって貧しさの中に追いやられ、とても「Happy」とは言えない状況の中で生きてきた人たちです。そんな現実の中で、絶望し、憎しみと怒りに我を忘れ、愛を見失い、投げやりになってしまう自分たちの心を、でもイエス様は変えてくれる(罪をゆるしてくれる)。そしてそんな辛い中でも、いかに人間らしく生きることが大切であるかを教えてくれる。そのことを知ることができた、だから「Happy」なんだ!その気持ちを胸に抱いて、前を向いて生きていこう!そんな思いを込めて歌われ続けてきた感謝と喜びの歌だと思うのです。

 辛い体験の中で自分の心の中に沸き起こってくる悩みや苦しみ。でもそういったものを乗り越えた、その先に見出した本当の生きる喜び。それを歌うのが「Oh, Happy Day !」です。辛い体験を知ってるからこそ歌える「Happy」には恐れがありません。2007年がこの「Happy」に満たされた年でありますように。

〔 相愛教会牧師 真壁 巌 〕

武蔵野相愛幼稚園

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