聖書の言葉と子どもとわたし

 

 わたしが最初に赴任した教会でのことですが、幼稚園児のお母さんが、大変感激して報告してくださったことがあります。
 子どもが、幼稚園から帰ってきて、おやつのジュースを弟と一緒にコップに分け合って、何かぶつぶつ言っているので、聞いてみると「自分のことばかりでなく他人のことも考えなさい」と言いながら、ちょうど同じに分けていたというのです。お母さんは感動して、わざわざ牧師のところまで報告にいらしたのでした。
 その日の幼稚園での礼拝のお話の聖書の個所が、新約聖書ピリピ人への手紙二章四節「おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい。」(口語訳)だったのです。子どもにとって、聖書の言葉を聞くということは、そんなにも具体的なことなのかと感じ入るところがあり、わたしにとっても、この聖書の言葉は心に残る言葉となりました。
 ところが、この3月に、今わたしのいる教会の幼稚園で、同じように幼稚園での礼拝でお話をしていた時、この幼稚園では、毎月決まったその月の聖旬を子どもたちが暗誦することになっていて、コリントの信徒への手紙一 十三章十三節「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」を暗誦していました。それで「愛というのは、自分のことだけでなく、ほかの人、お友だちのことを大切にすることですよ」と話しました。すると、すぐに、子どもから「『めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。』(新共同訳)ということですか」、と声がありました。わたしは、恐れ入りましたと脱帽の思いでした。実は、去年の11月の暗誦聖句が、この言葉だったのですが、ちゃんと覚えていて、とっさに出て来たわけです。子どもの頭の柔らかさと聖書の言葉がちゃんと子どもの心に届いていることを知らされ、この聖書の言葉で、もう一度、感じ入ることとなりました。


 聖書は、読むだけでなく、言葉が心にとどまることが大切ですが、わたしは、二度、幼稚園の子どもから、この聖書の言葉をもらったことになりました。忘れようとしても忘れることはできないでしょう。
 相愛幼稚園の仲間にならせていただきました。わたしは相愛日曜学校の一人として、ここで第一歩を歩み出させていただいた者です。改めて、相愛幼稚園の子どもたちと共に、聖書の言葉に聞いて行きたいと、気持ちを新たにさせて頂いています。

〔 理事長 長山 恒夫 〕