緩やかさ
2月13日の午後、武蔵野市役所から私宛に電話がかかってきました。
「園長会、皆さん、お揃いですが、木﨑先生は本日欠席ですか?」と。
えっ!? 今日でしたっけ!?
「ごめんなさい。すぐに参ります。」と自転車を飛ばして市役所に向かいました。
すっかり失念していました。というより、3月開催だと思い込んでいたのです。近く受信メールで日時を確認しようと思った矢先の出来事でした。
この時、「連絡メールを受けた時にすぐにスケジュール帳に記さなかった私がいけなかった。」と思う私と、昨年末に届いた園長会開催の知らせに対し、「リマインドがあったらよかったな」とか、「例年は、3月開催なのにどうして今年は2月なの?」などと思っている私がありました。
さて、この「思い込み」。
思い込みと勘違いは似ていますが、うっかり間違えて、誤りに気づけばすぐに考えを修正する勘違いとは違い、思い込みは自分の価値観に基づいて固く信じ込み、間違いを認めにくいのがやっかいです。
その子らしい見方、考え方、感じ方、関わり方を丁寧に見ていくことが子どもを主体とする保育の出発点なのに、子どもとともに在る保育者の思い込みが強いと育ちの環境をつくるために欠かせない「子ども理解」を遮ることになります。
私たち保育者は、子どもたちを帰した後、その日の子どものことについて語り合います。
その時、心にかけているのは、安易な心理学に頼って、「こういう子どもはこうだ」と決めつけたり、「私がこの子のことを一番わかっている」と思い込んだりすることの無いようにということです。「自分がいちばんよくわかっている」という自認ほど、人の認知を歪ませるものはないからです。
この語り合いの時について、保育実践研究者の宮里暁美先生は次のように述べています。
「その子の思いについて
ああかな こうかな と思い巡らす
半分くらい当たっていて 半分くらい見当違い
そのくらいの確率がちょうどいい
そのくらいの緩やかさでお茶を飲みながら
語り合うくらいがちょうどいい、と思う。」
なんだかほっとする言葉です。
私たちは、子どもと同じ地平に立ち、その子の思いや求めを感じ取るものでありたいと願っています。
「小学校、楽しみ! あー、でも、冬休みも春休みも無ければもっと幼稚園に来られるのに・・・。」
これは、年長組の子どもの嬉しいつぶやきです。
互いに赦し合い、育ち合ってきた今年度の歩みに感謝し、3月の日々も穏やかに、丁寧に重ねてまいります。
〔 園長 木﨑 曜子 〕
「主が一歩一歩を備えてくださる。」
(箴言16章9節)