命の水
夏の日差しが照りつける日々ですが、こどもたちは元気に幼稚園で過ごしています。この時期は水と遊び、仲良くなるシーズン。私のお仕えしている相愛教会でも昨年度、一泊二日で夏期学校を奥多摩福音の家で実施しましたが、こどもたちに「一番楽しかったことは何?」と聞くと、「やっぱり川遊び」とか、「〇〇先生に川で水をかけてびしょ濡れにしたのが面白かった」と答えてくれます。
聖書の中に出てくる「水」にまつわる物語の一つに、神様のこどもであるイエスさまが一人の女性と井戸の前で出会うというエピソードがあります。彼女は水をくみにやってきましたが時間は真昼。炎天下です。町の人たちは日が落ちた頃にやって来ますが、彼女は人に会いたくないのでこの時間を選んでいました。自分のことを悪く言う町の人たちと会いたくなかったからです。真昼の炎天下の時間を敢えて選んでイエスさまは彼女に話しかけます。イエスさまは彼女に会いたかったのです。彼女が抱えている悩みを受け止めるためです。彼女の心は渇いていました。一人また一人と、あることないことを噂し、その度に彼女の心は渇いて生きる気力が失われていきます。しかしイエスさまが彼女の心を潤します。
「わたしが与える命の水を飲みなさい」
(ヨハネによる福音書4章14節)
イエスさまを信じなさいという招きです。
悪い噂や、あることないことばかり聞くと、誰のことも信じたくない気持ちになります。独りぼっちになります。
けれどもイエスさまは私たちを決して独りにはしません。イエスさまはあなたを本当に生かす言葉を語ってくださいます。イエスさまにはどんなことでも打ち明けてよいのです。イエスさまは私たちの悩み、悲しみを一緒に背負ってくださる方だからです。
相愛教会の夏期学校でこどもたちが楽しかったと口々に言った思い出のもう一つに、スペシャルプログラム「こどもたちをゆらゆらする」がノミネートしていました。「あのゆらゆらが面白かった」。「寝そうだった」。
何をしたかというと丈夫なシーツを大人二人が持って、こどもたちがハンモックのようにそこでゆらゆらするというものです。こどもたちは体も心も全部預けていいんだという体験をすることで、それがイエスさまを信じていいんだよという気持ちにつながることを狙ったものです。
イエスさまを信じるとは、自分の全部を預けて、委ねていいってことです。彼女はイエスさまと出会ってもう一度信じることの大切さを思い出しました。自分を愛してくださるイエスさまを信じて生きていくことができました。
私たちが生きるために水が必要なように、信じることも必要なのです。
( 相愛教会牧師 長尾 大輔 )

「 隣人を自分のように愛しなさい 」
〔 マルコによる福音書12章31節 〕