ともにつむぎだす

 2月88日の朝、年中・すみれ組のYちゃんはレモンをひとつ手に持って、走って幼稚園にやって来ました。
 「このレモン、すみれ組のみんなと食べたいの!」と。後から追いついたお母様が「家の庭に出来たレモンなのです。」とおっしゃり、続けて、「今の家に越してきた時に記念樹として植えたレモンの木に初めて実が生ったのです。娘がすみれ組のみんなと食べるというものですから、持たせました。」と教えくださいました。
 午前中はいつものように自由に遊んだ子どもたち。クラスルームに戻ってきたすみれ組の仲間にYちゃんはレモンを見せながら、「うちで出来たレモンです。みんなで食べたいです。」と言いました。みんなも「食べたい! 食べたい!」と言いました。子どもたちに人気のおやつ、梅ジャムビスケットも、焼き芋も苦手な子どもはいるのですが、Yちゃんのレモンに関しては、誰一人、「苦手だから要らない」といった子はいませんでした。私は、嬉しく思いながら、キッチンから持ってきた包丁とまな板と砂糖をテーブルの上に置いて、「まずは、半分に切ってみましょう。」と言って、半分に切り、「ほーら、こんなにみずみずしいね。」と、みんなに見せました。そして、「この半分は、Yちゃんのお家にお返しして、家族で食べたらいいと思うわ。」と言うと、子どもたちも「うん、うん」と頷きました。
 それから、半分のレモンを小さく切ると、そのまま食べる子や砂糖をまぶして食べる子、“おかわりジャンケン”に勝ち抜き、ふたつ目を食べる子などなど、感謝してみんなでおいしくいただきました。
 私は、この日の朝、Yちゃんの持ってきたレモンのいわれをお母様から伺った時、「ご家族にとっての記念すべき初物ですのに…」との思いが真っ先に浮かびました。けれども、それは、大人の感覚であることに気づきました。

 「初穂は、神に。
     残りは、隣人と共に。」
            (レビ記23章9節~22節)

 実を収穫するということは、自分の喜びのためだけでなく、他者を生かすためであり、共に喜ぶためであり、分かち合うためであるという聖書の言葉があります。
 すみれ組の和やかな雰囲気の中に居ながら、“分かち合い”がごく自然な行為としてある子どもの世界の豊かさをうれしく思いました。そして、そこには、クラス全体が愛情で結ばれ、それぞれの持ち味を尊重しあいながら集団として育ちつつある子どもたちの姿がありました。

 園庭のハクモクレンのつぼみが膨らみ始め、春の訪れを告げています。
 一人ひとりが、自分自身を築き上げようとしている大切な幼児期に、出会い、共に過ごし、友だちと喜び、楽しみ、喧嘩や仲直り、葛藤を通して一日一日をつむいできた今年度の歩み。
 その日、その時をいつも守り、支え、導いてくださった神様に感謝します。
 そして、私たちと共に歩んでくださった保護者の皆さま、ありがとうございました。
                              ( 
園長 木﨑 曜子 )

 

                    「 主よ、あなたの道を教えてください。 」
                              〔 詩編86篇11節 〕

武蔵野相愛幼稚園

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