相愛幼稚園に導かれて

 武蔵野相愛幼稚園の監事として約30年間関わってきましたが、2023年3月の理事会で承認され、長山恒夫前理事長からこの4月に理事長の大役をお引き受けすることになりました相愛教会員の片桐牧雄と申します。

    「惜しみなく与えよ。 あなたが与えたものは、
                 あとになってから戻ってくるからだ。」 
          伝道者の書11:1 新共同訳では「 コヘレトの言葉 」

 武蔵野相愛幼稚園の創始者白石先生がこの地を幼稚園にと願われた時からずっと借地で運営してきたところ、地主から買い上げ要請を受けて、現在監事でもある井上陽一郎さんに加わって頂き、理事会中心に検討を開始しました。財政的な面の対応においても有意であるとの見解に達し、購入を進めたことが印象深い出来事として心に残っています。また、1950年には三鷹市牟礼の地に相愛教会を建堂し、これらを白石多幸・トク先生が私財を投じて設立したことは、この地に幼児教育と教会の伝道を!と、惜しみなく捧げた祈りでした。

 この3月で第二の社会人生活であった東京神学大学の事務長を退任し、やっと得られる解放感にしばし浸る予定でしたから…? 
全体保護者会、入園式と出席し、園児を始めご家族の方々、教職員の方々とこのような形で関わることになろうとは想像することすら出来ませんでした。
 この場を借りて相愛教会、相愛幼稚園との関わりについて紹介させて頂きます。生まれは岩手県奥州市で3歳から大学卒業まで北海道で青春を謳歌しました。本籍は曾祖父が牧会していた仙台東三番町教会(現仙台北教会)です。

 最初の出会いは相愛教会からでした。
 1972年日本鉱業(現在ENEOS)に入社し、社会人人生がスタートしました。その年の夏休み、岩手県奥州市若柳に帰省した際、佐野コト大叔母 (当時の相愛教会牧師夫人・及川美穂子先生の母)も帰省していて、中野区の野方寮に居るのであれば、三鷹の相愛教会に行きなさいとのことを言われたのがきっかけでした。

 武蔵野相愛幼稚園については、1972年10月に初めて相愛教会を訪ねて、相愛幼稚園と相愛教会の創始者である白石先生夫妻の長女で、後に武蔵野相愛幼稚園園長となる黒田成子先生に出会った際、私の大叔父の片桐哲に同志社女専の時代に指導されたこと、片桐哲と成子先生の父上白石多幸先生は同志社神学部時代の仲間であることを知りました。
 父方、母方とも関わりのある方々のいる相愛教会、相愛幼稚園は主の導きとしか思えない掛替えのない出会いとなりました。武蔵野相愛幼稚園の理事会の決議を受けとめ、創始者である白石多幸・トク先生ご夫妻始め黒田直竹・成子先生ご夫妻、その後長山恒夫・篤子先生ご夫妻が育まれた武蔵野相愛幼稚園の幼児教育に馳せる思いを少しでも継承していく事が主の導きであると信じ励んでいきたいと願っています。
                                   〔 
理事長 片桐 牧雄 〕

 

                   「 主よ、お話しください。僕は聞いております。 」
                              〔 サムエル記上3章9節 〕

武蔵野相愛幼稚園

住所

〒180-0003
東京都武蔵野市吉祥寺南町2-31-4