良き羊飼いは
毎年2月に思うこと。
冬休みが終わり、新しい年を迎えた喜び。大好きな幼稚園に子どもたちが戻って来たことと共に、年長の子どもたちには、もう卒園の足音が聞こえてくる。「あと何回、幼稚園に来れるかな?」そんな思いの、狭間の季節にあるということです。
そんな揺れ動く心がある中、私たちは、確かに自分の歩みを導いてくれる存在を求めるのではないでしょうか?特に、長きにわたるコロナウイルスの影響は、さらに私たちの心を揺さぶり、不安定にするでしょう。
聖書は、そんな揺れ動く私たちに、羊飼いという導き手がおられることを示してきました。それは神様です。迷い易い羊たちの先頭に立って、羊飼いは正しい道を示します。疲れた羊がいれば駆け寄り、時には担いで一緒に歩みます。 相愛幼稚園の大切にしている聖書の伝える神様とは、そのように羊たち一匹一匹を愛される愛の羊飼いです。この愛の羊飼いとなられた方が、その最も大切な独り子、イエス様を私たちに与えてくださいました。そしてこの方が、私たちの良き羊飼いとなられたのです。
わたしは良き羊飼いである。
良き羊飼いは羊のために命を捨てる。
(ヨハネによる福音書10章14節)
命を捨てるなんて、大げさで重たい言葉かもしれません。しかしここには、「それほど、あなたを愛されているんだよ」というメッセージが確かに込められています。ある方は、この聖書の言葉を小さい頃に礼拝で聞いて、人生の節目節目に、いつもこの言葉に励まされてきたと言います。幼い頃も、大きくなって独り暮らしをして寂しい時も。大きな病を得た時も…あの時も、この時も、自分のことを、イエス様は守り導いてくださった。どんな時も、イエス様は私の羊飼いなんだ。 羊のために、その命まで捨てても構わない。その言葉のとおり、聖書は、イエス様は十字架でみんなの罪を赦すため、死なれましたと伝えます。教会の十字架。相愛幼稚園でも礼拝の時、小さな十字架が掲げられます。そこに込められているのは、私のために命をかけるほどの大きく、温かいイエス様の愛です。
相愛幼稚園で過ごした子どもたちの中には、このイエス様の愛があります。確かにあります。みんなはいつも愛されて、そして愛で大きくなったのです。そのことを、新しい年を歩み出し、そして新しい旅立ちを思うこの時、忘れずにいたいのです。 「わたしは良い羊飼いである」。そんな小さな聖書の言葉が、子どもたちを導き、支え、育む。そんな不思議な、しかし、愛の言葉があるからです。
相愛とは「互いに愛し合いましょう」(ヨハネの手紙一4章7節)という意味だからです。
愛し合う時、きっと世界に平和が訪れます。泣いているお友だちも、きっと笑顔になり、家庭には幸せが満ち溢れます。
相愛。
この一文字だけで、子どもたちはとっても大きなことを伝えています。互いに愛し合いましょう。私たちはみんな誰もが、イエス様が命を与えてくださるほどに大切な存在なのです。それこそが聖書の伝える確かなことです。
〔 牧師 長尾 大輔 〕
2022年1月7日 朝
井の頭公園・三角広場の雪景色
聖書のことば
「 その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい 」
〔 マタイによる福音書10章12節 〕