食べることは、生きること

 

 この秋もいつもの年と変わることなく、テラスの「おやつ屋」には開店と同時に(いえ、開店準備の気配を察知するとすぐに!)、焼き芋や蜜柑ジャムクラッカー、スイートポテトなど、日替わりのおやつを求めて長蛇の列ができます。
 このおやつ屋の運営には、年長・ばら組の子どもたちの手を借りています。畑で掘ったサツマイモの泥を落とす芋洗い、脚立に上ってのみかん狩りとみかんの皮むき、出来上がったおやつの販売などがその主な内容です。
 年長・ばら組の子どもたちに、おやつ屋の製造・販売に関わる人材募集の告知をすると、たちまち応募者でいっぱいになりました。
 今年のばら組は、冷たい水で、タワシを使っての芋洗いや蜜柑の袋から果肉を取り出す作業に奮闘してくれるのが男の子たち。それに対し、周りで「よろしくね。頑張ってね!」と励ましの声をかける女の子たちという役割が特徴となっています。
 このように、おやつ作りを支えてくれる人たちがいて、おやつが出来上がるのですが、おやつ屋の花形といえば、なんといっても店頭での販売です。並んだお客さんに、おやつを手渡すのが精いっぱいの男性販売員に対し、軽く膝を曲げ、お客さんと視線を合わせながら、一人ひとりに「おいしく食べてね!」と優しく手渡す女性販売員のAちゃん。
 店員さんの人柄に触れながらおやつを受け取る瞬間は、年中組や年少組にとっての嬉しく、また、憧れの時でもあり、「私も(ぼくも)ばら組になったら、おやつ屋さんをやりたいです!」と、一年後、二年後の人材登録をする人もいるほどです。
 おやつ屋のまわりは、いつも幸せな空気で包まれています。


 「味覚」は「記憶」であるといわれます。家族から愛された記憶や懐かしい子ども時代の記憶は、 味覚とともに心に刻まれます。
 11月10日に行った年長組の奥多摩ハイキングでのことでした。例年は、一泊二日で行うキャンプのプログラムを日帰りハイクの中に出来るだけ盛り込みたいとちょっと欲張りな計画を立てました。
 奥多摩の自然を感じながら山歩きをしたい、昼食の場所としてお借りする「福音の家」の庭の遊具でも思いきり遊びたい…。だから、お弁当の時間は短く、さっと食べられる「おにぎり弁当」を持たせてくださいとお家の方にお願いしました。
 そして、当日。奥多摩でのお弁当のとき、左隣に座っていたBくんが、「おっ、いくらだ!」と小さいけれど、嬉しそうに言った声が私には聞こえました。アルミホイルに包まれた大きなまん丸おにぎりの中には溢れんばかりのいくらが入っていました。
 「いくら、お願いしたの?」と私が聞くと、「知らなかった。お母さんがそうしてくれたんだ。」とBくん。


 食べることは、生きること。
 「食」は、人が生きていくためのエネルギーの原点です。それとともに、食の楽しさを味わうこと、作り手の愛情を感じること、人間としての豊かな心をはぐくむ原点でもあると、大きな口を開けて、おにぎりをほおばるBくんの至福に満ちた顔が物語っていました。
                            〔 園長 木ア 曜子 〕

 

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おやつ屋に並ぶ子どもたち

 

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聖書のことば

「 学者たちはその星を見て喜びにあふれた。」

〔 マタイによる福音書2章10節 〕