池のかい掘り

 子どものときから井の頭公園は、私にとって絶好の遊び場でしたが、池の水をぬいてかい掘りをするのは、今度、初めて見ました(かい掘りという言葉も初めてという方もおられると思いますが、辞書には、「掻い掘り:池などの水をくみ出して干し、中の魚を捕ること」とあります)。
 子どもの時、池で捕まえて遊んでいたのは、主にアメリカザリガニでした。名前のとおり、アメリカから持ち込まれたものでしたが、戦後育ちの子どもの私には、アメリカザリガニが、大きさから言っても色から言っても、池の主のように思えました。
 このたび、池のかい掘りが行われて、魚やえびが、在来種と外来種に区別され、在来種を保護し、もとの池にかえし、池を元の姿に戻そうとしていることを新鮮な気持ちで受け止めました。井の頭公園だけでなく、方々の池や沼で、その試みがなされていることをテレビで知りました。魚では、池をわが物顔にしているのは大きな鯉ですが、これは外来種です。わざわざ外来種というのは、その環境になじんでいないため在来の種に対して強い種が特に繁殖し全体のバランスを乱すからです。


 池には、鯉だけでなくフナもいました。フナは、鯉のように人から餌さをもらうために出て来るということはなく、大概は、池の岸の見えないところに隠れていました。それで、子どもにとっては、かえって、捕まえやすかったことを覚えています。隠れてじっとしているところを手でつかまえることができたのです。
 川にはクチボソと言う8センチほどの細長い魚もいて、池から流れ出て神田川になった三鷹台あたりを泳いでいるのを捕まえていたことを思い出しました。
 池の生き物というと、やはり、魚ということになりますが、池をすみかとしている生き物を考えると、えびをはじめたくさんの生き物がいます。池全体のことを考えると、ここでは、さまざまな虫のことも考えるべきだろうと思います。


 井の頭公園の池は、ボート場のところで分けられていて、岸から眺めると、水生物園の方の池には、どんな生き物がいるのだろうと想像するだけで、子どもの時からもっと知りたいと願うところでした。池の上を水鳥がすいすい泳いでいるだけで手の届かない世界であったのです。
 今度のかい掘りは、その水生物園の方の池の底も見せてくれました。その気になれば、もっと池のことを知ることができる絶好のチャンスだったのですが、私は、掘り出された池の底と魚やえびなどを見るだけで、終わってしまいました。


 この度のかい掘りをきっかけに、池の魚やえびを在来種と外来種に分けることを教えられました。しかし、魚を分けることができても、外来の魚と一緒に持ち込まれた池全体の生き物を分けることは不可能ですから、外来種を区別し、ある程度、在来種を保護することができたら、目的の大半は達成したと考えてよいのではないでしょうか。
 それにしても、外来種について知る機会があっても、在来種については知ることが少ないのは、不思議なことだと思います。わたしたちは、珍しいものには関心を持ちますが、日常的なものには無関心なところがあるからです。大きな鯉に関心を示しながら、フナやクチボソには無関心であったことに、自分の関心の持ち方に考えさせられたところがありました。外来種の珍しさだけでなく、在来種にも関心を持ちたいと思いました。
 日常生活について、どのように関心を示すべきかを考えさせられました。

〔 理事長 長山 恒夫 〕  

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