宝の箱を開けて

 誰しも宝物があると思います。私はいつも付けている腕時計です。父から高校の時にプレゼントしてもらいました。この腕時計を見ると父や家族のことを思い出せる自分にとっては世界に一つしかない腕時計です。
 実は神様にも宝物があります。それはイエス様です。世界にひとりしかいない大切な神様の子ども。救い主イエス様。そんな大切な方を私たちに何の見返りも求めず与えてくださったことをみんなでお祝いするのがクリスマスです。
 聖書のクリスマス物語に登場する東の国の博士たちはイエス様の誕生を祝うためにやって来ました。宝物を持って。それは彼らの生活になくてはならないとても大切なものでしたが、イエス様にプレゼントすることができたのです。

 自分の宝物、大切なものを誰かにプレゼントするということは簡単なことではありません。でもそれができました。
 一体なぜでしょうか?
 それはイエス様という一番大切な子どもを、この世界を救うために与えられた神様がおられる。そう信じた時、実は自分たちのことをも神様は愛してくださっていたんだと分かったからです。私たちを愛してくださっている神様が、もうすでに一番大切なものをプレゼントしておられる。だからそれまで一番大切だったものを手放してもよいのです。もし必要ならば神様は必ずや与えてくださいます。神様からのクリスマス・プレゼントはイエス様です。それを信じる時、私たちにクリスマスの本当の喜びが訪れると聖書は伝えています。

 

 クリスマスには教会やキリスト教主義学校、幼稚園等で献金がなされます。
 献金と募金が違うのはそこに祈りと神様への信頼があることです。たとえ小さな額であっても神様が困っている人のために、この献金を豊かに用いてくださると信じることが大切なことです。
 そして、この献金を特にクリスマス・シーズンにするのは、神様が最大のプレゼントであるイエス様を私たちの世界に贈ってくださったからです。私たちも神様からすでに大きなプレゼントをもらっているのだから、そのことを感謝して、神様がなされたように私たちも喜んで献げることをしてよいという考えがあるからなのです。私たちも宝を独り占めにしないで、喜んで宝の箱を開けることをしてよいのです。
 クリスマスに何がもらえるだろうか? と、もらうことばかりではなく、分け合い、献げ合って、共に喜ぶことを聖書の伝えるクリスマス物語から覚えたいと思います。
 聖書は三人の博士たちが自分のそれまでの宝物を手放した後の生活については沈黙しています。ですがきっと彼らは心晴れやかに、イエス様と出会えた喜びと感謝に満たされて生きていったと思うのです。

 

 クリスマスとはただもらうのではなく与える日なんだ。その時初めて神様に「イエス様を与えてくださりありがとう」と心から言えるのではないでしょうか?  今年も幼稚園に集う皆様の心に聖書の伝えるクリスマスの本当の意味が伝わって、まことのクリスマスの喜びがあるようにと祈ります。

 

 

〔 相愛教会牧師 長尾 大輔 〕  

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聖書のことば

「彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、    
        黄金、乳香、没薬を贈り物として捧げた。」
                        (マタイによる福音書2章11節)

武蔵野相愛幼稚園

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