その日 その時を ただ神が知る

 

 2月の初め、年長・ばら組で水栽培していたヒヤシンスの花が咲きました。
 この球根は、昨年11月に相愛教会で行われた幼児祝福式の日にプレゼントとしていただいたものです。
 折しも、ばら組のヒヤシンスの花が咲き始めた次の日曜日、私の出席する教会の礼拝で、「球根の中には」の讃美歌が歌われました。

  「球根の中には  花が秘められ
   さなぎの中から  いのちはばたく
   寒い冬の中  春はめざめる
   その日  その時を  ただ神が知る」
             (讃美歌21  575番)

 シンプルできれいなメロディの中に命の神秘が奏でられる私の愛唱讃美歌のひとつです。
 幼児祝福式に出席した子どもたちは皆、ヒヤシンスの球根をプレゼントされ、それぞれの家庭で育てました。早い人は、冬休み明けに「教会でいただいたヒヤシンスの花が咲きました!」と教えてくれました。
 同じ時にいただき、育て始めた球根ですが、開花の時期は、こんなにも違うのです。
 讃美歌の歌詞にあるように、“その日 その時を ただ神が知る”です。

 子どものことでも“その日 その時を ただ神が知る”を実感する出来事がありました。
 2月25日(月)、年長・ばら組の子どもたちは、武蔵野市立第三小学校からの招きを受けて、一年生との交流会に参加しました。招かれたのは、第三小学校の学区域にある南保育園と相愛幼稚園の年長組の園児たちでした。会議室で一年生と対面し、「はじめの会」が行われ、その後、一年生と年長の園児が4〜5人のグループを作って、学校探検をしたり、折り紙やカルタ取りなどの遊びを一緒にしました。さて、「おわりの会」でのことでした。5人の一年生が前に立って進行役を務めましたが、その中に相愛幼稚園を卒園したA君がいました。おわりの会では、幼稚園や保育園の先生が言葉を述べる場面があったのですが、私が指名され、この日の感想を話した後で、「相愛幼稚園の先生、ありがとうございました。次は、南保育園の先生です。」とはっきりと大きな声でA君が言ったのです。私は、感動しました。
 それは、一年生のA君は、幼稚園に入園した年少の時、お母さんと離れられず、半年間お母さんと一緒に幼稚園で過ごした子どもだったからです。A君のお母さんは、愛情深く息子を信じ、保育者の言葉を信じて、忍耐強く待ちました。
 交流会の翌日、“あの日 あの時”があって、“この日、この時”があることを思い、A君のお母様と私は喜びを分かち合いました。


 旧約聖書に次のような言葉があります。
 
 「何事にも時があり 天の下の出来事には
      すべて定められた時がある。」
          (コへレトの言葉3章1節)


 私たちの思いを超えたところで、神さまは私たち一人ひとりを覚えて、心に留め、すべてのことにおいて最も良き時を備えてくださる方です。
 3月を迎えました。
 神さまに信頼し、守りの中で歩んだ今年度の日々を感謝しています。

〔 園長 木ア 曜子 〕     

 

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聖書のことば

「 わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

                                                       〔 マタイによる福音書28章20節 〕