武蔵野相愛幼稚園

 

 武蔵野相愛幼稚園が、なぜ、吉祥寺のこの地にあるのでしょうか。
 白石多幸牧師・トク夫妻が北海道・旭川の教会を辞して吉祥寺にやって来たのですが、そのとき、多幸牧師は伝道者を辞任し、トク夫人が幼児教育をはじめるという、50歳のトク先生にとって、年齢からして、教育者としての再出発の時であったのです。


 幼稚園をはじめるのに、よい場所は何処かと探している時に、かつて、旭川相愛幼稚園を卒園した子どもの父兄であった知人を吉祥寺に訪問し、そのあと、近辺を歩きまわり、この場所に立って、この所に幼稚園を建てようと決めたそうです。
 白石トク先生は、何でも決めることが早い人でした。 
 「我が相愛幼稚園は、昭和十年十一月、現在の場所が草茫々であずま通りから横の小路を第三小学校への近道としてぬけられた頃に、園長夫妻が、今、園庭の砂場のところで、まず神様にお祈りをしてからはじまりました。」と、(相愛だより1964年4月)白石トク園長が書いています。
 そうして始められた幼児教育について、「〜朝の礼拝(勿論子供にふさわしき)を終ったあとは、疲れたものは憩い、すすみたいものは、そのみち溢れる力を自由に用いさせたらどんなに楽しいことでしょう。子供たちの〜畑からの収穫に、驚きの目で見る大根や人参を惣菜にして、食事を共にして段々には偏食をなくしたら、どんなに嬉しいことでしょう。〜」とも書いています。
 幼稚園をはじめるに当って、白石園長が望んでいた子供たちを、今の幼稚園に見ることができることは、なんともうれしいことです。
 こうして開園された武蔵野相愛幼稚園は、間もなく始まった太平洋戦争のために、1944年、やむなく、休園することになりました。白石トク園長は、廃園届を出しに五日市街道を走って市役所に行かれたそうですが、市は休園届として受け取ったとのことです。

 敗戦の混乱の中、幼稚園舎は家を失った人々が住むこととなり、園庭では野菜などが作られたそうです。
 卒園生の働きかけに大きなものがあり、白石夫妻は大変励まされ、1947年8月に日曜学校を再開し、幼稚園は翌年4月に再開することになりました。武蔵野相愛幼稚園は、卒園生の方々、地域の人々の支えの中に、再開されたのです。
 相愛教会との関係を述べますと、教会が幼稚園を支えるのが普通ですが、相愛の場合は、幼稚園が教会を生み出しました。

 1936年4月に相愛幼稚園は開園されました。そして、多幸牧師の勧めで6月に教会が開設されました。しかし、太平洋戦争をはさんで、幼稚園は休園、教会は伝道を始めたばかりだったので、中央の指導により閉鎖ということになったのです。

 そして、戦後の相愛教会の伝道も白石牧師夫妻により再開されました。教会としては敷地を求めて、三鷹に今の土地を得、小鳩幼稚園も開設されました。
 相愛幼稚園の園児たちが相愛教会に行くのも、相愛教会学校が相愛幼稚園で行われているのも、そういう関係にあります。

 また、幼稚園は、個人立が多いのですが、相愛幼稚園は、1949年財団法人相愛学園認可、1950年学校法人相愛学園に組織変更という歩みを経て、地域にある公の幼稚園であることを大切にしてきています。

 1964年に多幸牧師が逝去されました。
 白石トク先生は、それから、亡くなられた1977年まで、相愛幼稚園のおばあちゃんとして働かれました。
 そういうわけで、今ある私たち武蔵野相愛幼稚園は、「園庭の砂場のところでの」白石先生ご夫妻のお祈りに始まっているのです。このことを覚えておきたいと思います。

                          〔 理事長 長山 恒夫 〕


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聖書のことば

「 喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。 」

                     〔 ローマの信徒への手紙12章15節 〕