5月になって

 ある子がわたしの手を引いて、こっちへ来いと言っているようなので、ついて行ってみると、粉かと間違うような小さい虫がいます。小さいけれども動いているので見つけたのでしょう。その子は、捕まえろと言います。指の先にそっとのせて、その子の顔の先に持って行くと、自分は虫は怖いからいやだそうで、それでもその虫を捕まえたかったのでしょう。わたしの指の上にいる虫を見ると納得して、別の遊びに行ってしまいました。

 その子は、虫が嫌いなのか好きなのか、これからどちらかになるのか。今は、虫は怖いそうですから好きとは言えませんが、あそこまで小さいと怖くはない虫だったのでしょう。これからいろんなことに出会っていくといろんなことに興味を示すようになるのだろうと楽しみです。 

 

 子どもにとって、今日という一日一日は、さまざまな出会いをする時であり、経験をして新しい自分を発見する時です。そのためには、特に小さいうちは、いろいろな友だちとの出会いが大切だと思います。相愛幼稚園では、ちがうクラスの子どもとも自由に遊べますので、子どもたちは、好きなところに行って、好きなことをして、好きな子と一緒に遊んでいます。その遊びの中に保育者も入って一緒に遊びます。必要に応じて、助言したり、子どもたちの争いを仲裁したりしています。その時には、子どもたちが納得することを大切にしています。この場合、わたしは、大きな子どものつもりです。保育者は、わたしを叱りたい時があるでしょうが、まだ、叱られたことはありません。


 子どもの活動の一つに、いろいろな空き箱をつかって物を作るということがあります。作るということでは、紙粘土や、色紙、画用紙などの材料で作ることもしますが、子どもたちは、いろいろな大きさ、形の、空き箱、トイレットペーパーの芯の筒などを使って自由に作っています。何を作ったのか分からないものがたくさんあります。作品は、家に持って帰りますから、家の方も、なんだろう?と首をひねりたくなることが少なくないだろうと思います。作品は、お帰りの時に「これは誰の?」と先生が聞くと「僕の、わたしの」と手を上げて持って帰るのですから、一つ一つの作品には子どもたちの心がこもっていることは確かです。わたしの場合、作品として納得のいくものができたのは小学四年の時でしたから、それまでは、「僕の」という心の作品であったと思います。子どもの作品に、その心を見て、一緒に喜んでいただけたらと思います。
 

 帰りの時間のころ、子どもたちは遊び疲れて、お迎えの家の人たちの顔を見ると、気持ちは100%帰りの体制に入ります。家の人に迎えられて帰るのが、本当に、うれしそうです。 こうして、一日の保育が終わることに、その日の充実を感じます。
 

 

 白木蓮の花に続いて、桜の花が散ると、新緑の季節です。紅葉の新芽がのびて来ると5月6月という季節になったことを感じます。春には、花と新緑があります。木々にとっては、新緑の季節こそ、いのちの春といえるでしょう。 子どもたちも、新緑の木々と一緒に成長をしてほしいと思います。

〔 理事長 長山 恒夫 〕

 

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聖書のことば

「わたしたちは見えるものではなく、     

           見えないものに目を注ぎます。」

                            〔 コリントの信徒への手紙二4章18節 〕

武蔵野相愛幼稚園

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