平和とともに

  “第78回 武蔵野相愛幼稚園 入園式”
 「あら!? 80周年なのに78回ですか?」と入園式の朝、プログラムをご覧になった
親御さんが不思議そうに私に尋ねていらっしゃいました。
 ミスプリント? いえ、そうではありません。
 武蔵野相愛幼稚園の歴史を振り返ってみますとその答えが見つかります。

 

 1935(昭和10)年、武蔵野相愛幼稚園の創設者、白石多幸牧師とトク夫人が吉祥寺2292番地を幼稚園敷地と定め、相愛幼稚園の園名に由来する新約聖書ヨハネの第一の
手紙4章7節を交互に読んで祈ったところから歴史が始まります。
 翌、1936(昭和11)年4月1日武蔵野相愛幼稚園は開園し、30名の園児が入園しました。園長は白石多幸、年長組の担当は主任保母の白石トク、年少組の担当は娘の白石成子(後の黒田成子)と、白石一家が始めた小さな幼稚園でした。
 そうして、5月には、日曜礼拝と日曜学校(今の教会学校)が始まり、6月には園児数が38名に増えました。
 順調なスタートをきった幼稚園ですが、次第に軍国主義の色が濃くなり、キリスト教信仰に基づいた保育をすることの難しい時代になっていきました。1941(昭和16)年の開戦後は、物資が不足して教材の入手が困難な時でもありましたが、園児は防空頭巾を持って登園しました。
 いよいよ戦争も末期になると園庭には防空壕が掘られ、空襲を気にしながらの保育が続きました。けれども、ついに、空襲による混乱がひどくなり、園児の安全を願って1944(昭和19)年11月19日に閉園することになりました。
 「大切な幼児の尊い生命を思うと事故のないうちに閉園した方がよいということに決心がついたので、すぐモンペのまま防空頭巾を被って、五日市街道を走るようにして市役所にかけつけ、口頭で閉園を申し出た。」と、白石トク先生はその日のことを日記に記しています。
 1945(昭和20)年、終戦を迎えると園庭の防空壕は畑に変わり、保育室は焼け出された人々の仮の住まいとなりました。1946(昭和21)年の12月には近所の子どもたちとクリスマスを祝い、翌、1947(昭和22)年8月に日曜学校を再開しました。そのような時、当時、中学生になっていた藤澤潤三氏ら第一回卒園生の数名が白石園長夫妻を訪ね、幼稚園の再開を申し入れました。白石先生ご夫妻はこの申し入れを殊の外喜ばれたようでした。
 1948(昭和23)年、4月8日、85名の子どもたちとともに戦後の幼稚園が正式に
再開され、以来、今日まで歩んできたのです。
 80年の歴史の中で、戦時中に休園期間がありましたので、今春の入園式は、「第78回入園式」ということなのです。


 2016(平成28)年7月1日。今朝は80年の間、私たちの幼稚園を守り、導いてくださった神さまに感謝してみんなで礼拝を捧げました。 

  〔 園長 木崎 曜子 〕

 

 

 

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聖書のことば

「探しなさい。そうすれば、見つかる。」

                       〔 マタイの福音書7章7節 〕