大切な たからものだから

 

   「イエスに触れていただくために人々が子どもたちを連れて来た。
             弟子たちはこの人々を叱った。」
                                                  〔 マルコによる福音書10章13節 〕


 ネパールという国を知っていますか? 中国とインドの間にある小さな国ですが、世界一高い山エベレストがある国です。昨年は大地震があり、今も多くの人々が悲しみの中にあります。お祈りください。30年前、私はワークキャンプでこの国に行きました。首都カトマンズから百キロ離れたライガウン村で、生活に欠かせない水汲み場を村人と一緒に作りました。村人の家に泊まり、村人と一緒に食事をし、子どもたちと遊んだ三週間は今でも忘れられません。


 ただ30年前のネパールの人々の暮らしは、想像していた以上に貧しいものでした。靴を履いている村の子どもたちはほとんどいませんし、着ている服が三週間ずっと同じ子もいました。もちろん、飲み水を手に入れるのさえ大変なのですから、お風呂なんてとんでもない。誰も入ったことはないでしょう。女の人が髪の毛を洗うのも、一年に数回だと聞きました。その中で私が一番驚かされたことは、当時のネパールでは生まれた子どもたちの内、半数が五歳までに死んでしまうということでした。その原因は不衛生な水と極端な栄養不足による衰弱死ですが、そのせいで当時のネパール人の平均寿命は約40歳と言われていました。今の日本人の平均寿命の半分しかありません。驚きですね。

 でも、これが30年前のネパールの現実です。では、今から二千年前のイエスさまがおられたユダヤではどんな生活をしていたと思いますか? たった30年前のネパールでも人々は大変な生活をしていたわけですから、きっとそれ以上に生きていくのが大変だったことでしょう。でも、子どもたちが元気に育ってほしいと願う親の思いは、いつの時代でも変わらなかったはずです。だって大切な たからものですから。 

 特にユダヤでは、有名な先生に手を置いて祈っていただく、つまり祝福していただくと、その子は将来幸せになると信じられていました。そこで親たちが大勢、子どもたちをイエスさまのところへ連れて来たのです。


 ところが、イエスさまのお話の邪魔になると思ったのでしょうか、お弟子さんたちが人々を叱ったのです。この「子どもたち」は「乳飲み子」という意味だそうですから、まだ歩くこともできない小さな子どもたちもいたのでしょう。そして、おそらくお母さんたちは必死の思いで「子どもが元気に育つようにさわってください、お祈りしてください」とお願いしたのだと思います。子どもが大人になるのが大変だった二千年前、それはすべての親たちの心からの願いだったことは間違いありません。

 

 こんな親たちの気持ちを理解できたのは、イエスさましかおられませんでした。だから「子どもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。子どもたちは大切なたからものだから」と言われたのです。人々を叱った弟子たちは、このイエスさまの言葉も親たちの願いも分かりませんでした。でも、イエスさまは子どもたちをたからものとして愛し、親たちの心も知っておられました。それは今も同じです。イエスさまはいつも子どもたちと家族みんなを守っていてくださるのです。

 「そして、イエスさまは子どもたちを抱き上げ、手を置いて祝福された」のです。
 武蔵野相愛幼稚園は、いつでもこのイエスさまと会える幼稚園です。
 これからもずっと。

                                           〔 相愛教会牧師 真壁 巌 〕 

 

 


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聖書のことば

「正義は国を高くし、罪は民をはずかしめる。」

                       箴言14章34節