五千人に食べ物を与える

  聖書の四つの福音書いずれにもある「五千人に食べ物を与える」という記事は、イエスが五千人以上の人にパンと魚を与えられて、皆が食べて満腹し、なお、たくさんのパンと魚が残ったという話です。これは、どの福音書にも大切な話として書かれています。

 こういう話です。大勢の人々が教えを聞くためにイエスに着いて行ったときのこと、弟子たちが「時もだいぶたったので、人々を解散させて、それぞれに食べ物を買いに行かせてください」と言ったところ、イエスが弟子たちに「あなたたちが食べ物を与えなさい」と言われたのです。弟子たちが確かめてみると、パンが五つと魚が二匹あるのが分かりました。けれども、五千人以上のたくさんの人なのですから、これだけのパンと魚では何の役にも立たないと誰もが思いました。それでもイエスは人々を百人、五十人とまとまって座らせ、五つのパンと二匹の魚を手に持って、神さまを賛美し祈ってから、弟子たちにそのパンと魚を配らせ、人々はそれを食べて満腹し、残りのパンと魚を集めると十二の籠いっぱいになったというのです。

 ヨハネによる福音書によると、五つのパンと二匹の魚は、一人の少年が持っていたもののようで、おそらく、お弁当だったのでしょう。それを五千人以上の人が食べて満腹しただけでなく、残りのパンを集めると十二の籠にいっぱいになったというのです。十二の籠どころか、一つの籠の隅にあったほどの少しのパンでしたから、たくさんの人に配るのは無理なことです。 

 しかし、教会はこの話をイエスの福音の中心にすえて語り継いで、自分たちに与えられた福音の真理がここにあると告白してきました。わたしたちも、その日その日に必要なものを神様から与えられて、今日という日を生かされています。

 「五千人に食べ物を与える」という話は、わたしたちがパンと魚を差し出すと、イエスは神様を賛美し祈られ、パンと魚を人々に分けられ、人々は食べて満腹したと言っています。

 この話の真理にあずかるために、イエスが弟子たちに言われた言葉を見ますと、先ず、37節に「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」があります。弟子たちの反応は、「100デナリオン(およそ100万円)ものパンを買って来るのですか」とありますが、弟子たちに対するイエスの言葉は「パンは幾つあるのか。見て来なさい」です。見てきた結果は、前記のとおりです。

 「100デナリオンのパン」は弟子たちの計算で、イエスが言われたのは、「あなたの持っているもの」を与えなさいでした。

 そして、イエスは、五つのパンと二匹の魚を手に持って、①天を仰いで賛美の祈りをして、神に感謝をされ、②パンを裂いて分配され、魚も同様にされた。そして、③すべての人が食べて満腹した。④残りのパン屑と魚を残らず集めると、十二の籠がいっぱいになったとあります。

 このメッセージに自分たちの生活を重ね合わせたところに初代教会の生活がありました。

 「信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った」[使徒言行録2:44-45]間もなく、この言葉どおりにはいかなくなったようですが、この「五つのパンと二匹の魚」の心は、今でも、イエスと共に生きようとする人の心と言ってよいでしょう。

[マルコによる福音書 6:30-44]
[マタイによる福音書 14:13-21]
[ルカによる福音書 9:10-17]
[ヨハネによる福音書 6:1-14]

〔 理事長  長山 恒夫 〕  

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                    〔エフェソの信徒への手紙 5章8節〕       

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