自分らしく 幸せに生きていくために

 

 暑い夏でした。
 幼稚園は9月を迎えて、園児も保育者もそれぞれ夏の体験を持ち寄って、秋の生活が始まります。

 

 私はこの夏、いくつかの保育に関する研修会に参加し、いろいろな講師から話を聞く機会を与えられましたが、どの講演にも共通しているキーワードは“自己肯定感”であったように思います。
 けれども、この “自己肯定感” という言葉、セルフ・エスティーム の訳語として使われていますが、その概念が必ずしも明確に規定されていないことから、使う人によって、そこに込めた意味やニュアンスに違いがあるように感じます。

 

  さて、 “自己肯定感” という言葉を聞くと私が必ず思い出すのは、いまは小学三年生になった卒園生のYちゃんのこと。ある日、Yちゃんは病気で幼稚園を休みましたが、お昼になると、 「もうすぐ幼稚園では、お弁当の時間かな? 食前のお祈りのとき、Yのことを必ず祈ってくれているよ!」 と確信に満ちて、お母さんにそう言ったそうです。

 

  Yちゃんの病気が治って、幼稚園に登園してきた日、お母さんは 「幼稚園でお休みしている子がいると、  『はやく○○ちゃんが元気になって、また、みんなと一緒にあそべますように…』 といつも幼稚園でお祈りしているからでしょう、今日は休んでいるYのことをお祈りしてくれているに違いないって言うんですよ。まったくおめでたい子ですよね」 と 「おめでたい」 という表現を使って謙遜しながらも、クラスの友だちに祈られていると確信しているわが子の様子を嬉しそうに話してくださいました。
 私はこの話を伺ったとき、根拠のない自負心や独りよがりの自惚れといったものではなく、また、「(自分が)できる」 、「(自分が) 役に立つ」 とかいう、自己効力感や自己有用感にも似た機能レベルの肯定でもなく、「安心できる場所や人の中で、そこにいるだけで自分の存在が認められ、大切にされていることが実感される」 という存在レベルの肯定感がYちゃんの中で育っていることを感じて嬉しくなりました。

 

 「どれほど、ありのままに自分を受け入れてもらったかによって、自己肯定感は違ってくる」 ということがいわれるために、ときどき、子どもがどのようなことをしても  「いいよ、いいよ(OK!)」  と対応している大人がいます。
 しかし、それは違います。子どもはいけないことをしたときには、きちんと叱られる必要がありますし、大人によって、枠が示され、そこから外れたときは、きちんと注意してくれ、軌道修正することを教えてくれる大人がいてくれるから子どもは安心して育っていけるのです。

 

  自分はかけがえのない存在だと感じ、同じように他者をも大切に思い、人との関係の中で生きることを楽しみ、世の中はいいもんだと思える子どもたちが育つ場、一人ひとりの子どもが自分らしく幸せに生きていくための土台を築く場でありたいと願って、今学期も歩んで参ります。

 

〔 園長 佐川 曜子 〕

 

 

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